寺崎 明子 / Akiko Terasaki #1

「首都圏に住む人間としてなんかしたい」

寺崎:首都圏に住む人間としてなんかしたいなと思って。であのーテントには最初からかかわっ­たわけじゃないんですけど、福島の女たちの座り込みとかね、そのあと続いて全国、あ、いっとう最初は9­.11にあの若者が5人ハンガーストライキやったんですよ、経産省の前で。その時から­あのーここにきて、ずっと来てたわけじゃないんですけど、ちょこちょこっと何日か来て、で今度、「­福島の女たち」が100人大挙して来るっていうんでまた、ちょっと何日ぐらいだったかな、2­日、3日ぐらいだったかしら、来ました。それで、そのあと今度そのアクションを全国の女­たち、「原発いらない全国の女たち」っていう人たちが、あのー引き受けて、で10日ぐらいだったかしら­、やったんですよね。それでそれにもあの全面的には参加しなかったけど、ちょっと参加­してて。でそのあとここの第二テント、この第二テントっていうのは結局その福島から100人女の人たちが来るっていうんで、第一テントのおじさんたちが作ってくれた、建ててくれたんですよ­。それであのー、そのあとだからここのテント時々来たんですけど、いつも閉まってて、人がいなくて。人人手が足りなかったんだと思うんですけどね。それでなんか、次の年だから2012年の3月かな、あのー土­曜日に今度テント番する人いないんだけど来てもらえないっていう話があって、じゃあ私­も行こうかなと思って。それから、そのころは土曜日にテント当番やって、そのうちにえーと木曜日にやるようになって、それで今度はえーと木曜日を二人の人で一週間おきに替わってや­るようになったんですね。また今は私が木曜日のテント番をやるようになりました。


“I wanted to do something”

Terasaki: I wanted to do something as one who lives in metropolitan area. Though I did not participate from the beginning, I participated in Fukushima women’s group and did sit-in. Also I started to visit here two or three days when I heard that Fukushima women were coming after the hunger strike done by five young people in front of METI. Then Japan’s women group continued the movement for ten more days. I didn’t participate for the whole thing but little bit. After that, the men at the first tent built the second tent when a hundred of Fukushima women were coming to the tent. But because of lack of participants after this movement, the tent was always closed when I came. In the same year, March of 2012, I started to come when I heard that they needed member for Saturday shift. So I started to go to that shift and also began to come for Thursday. Then I came for every other week rotating with another person. And now, I come for Thursday shift.