鈴木 千津子 / Chizuko Suzuki #1

鈴木:あ、チェルノブイリはねえ、やっぱり測ることもしてたし、それからそういう、向こうは、そうね、私も皆さんの二倍から三倍歳は重ねているんですけど、一応最後の戦後っ子なのね。で、戦後っ子ていうのは戦争後に生まれてるのね。で、戦争の現実っての知らないわけですよね。で、もちろんみんなが苦労した配給という生活も味わったことないし、でチェルノブイリに対しては、放射能っていう意味では当時燃えてましたから、もう行くしかない。で向こう行って元気で、逆輸入してきたっていうのかな、自分の気持ちの中で。配給制とか、共産党の世界とかしっかり見てきて、人間の考えとか、今の現代の人だったら、こうすればああすればって出るんでしょうけど、もう百年近くそういうのに親しんじゃうと、自分で、なんか例えば放射能すごい濃いところとか薄いところあるでしょ。今の日本人とかよその国の人だったら、あっ、あそこきれいだからって車飛ばして買って来たりとか、もらったりして食べますよね。でも現地の人は、配給制っていう、上から、はい今日のパンいくつ、とか、お洋服作るには生地何反、とか。上からこうして来る。で自分たちで買いに行くってことはあまりしないわけ。だからロシアもあんな広い中で、こっちでは品物がマーケットで本当にガラガラ、テレビで映ってるみたいに、もう何もないマーケット。こっちでは野菜から何から豊富にあるから、でも放射能で汚れているとか、いろんな、たくさん、ちょっと移動しただけですごい、その格差とか。


Suzuki: I was measuring in Chernobyl. I was born ager the war so I am older twice as much or more than you… I was so-called “Sengokko” (babied born after war) so I don’t know what war was like. I never experienced rationing. At the time of Chernobyl I was into measuring radiation so I decided to go. I saw the life under communism and how people think. Those thinkings were embedded to their mind because such system has been there for almost hundered years. Now in Japan you can choose which food you buy and eat. But at that time in Chernobyl, everything was rationed. On the other end, there were no food in this particular market. And on the one end, there were plenty of foods in this particular market, but all with high radiation. There was that kind of inequality even with little distance.