加藤 穂高 / Hodaka Kato #3

――デモのイメージがあまりよくないと先ほどおしゃっていたじゃないですか、その旧来のイメージっていうのは官邸前みたいなデモが旧来のデモなんですか?

加藤:そうですね。サンプル数としてはもちろん少ないんですけども、そうですね、とりあえずデモによってどうやって世の中が変わっていくんだっていうところに対してものすごく疑問符を持っていたというか、それこそ歴史を見てみれば、例えば60年代70年代の安保闘争っていうものすごくでかいデモがあったわけじゃないですか、あれっていうのは結局のところ安保の締結っていうところで結果的には失敗っていう形をむかえた。あるいは沖縄返還だとか成田闘争だとかまあいろんなデモっていうのは現代日本史においてはたくさんあるんですけれども、成功した事例っていうのは少なくとも自分は知らない。そういうふうになってきたときに本当に政策を変えたい、自分たちの主張を通したいって思うときにデモっていうのはどのくらい有効性があるのだろうかっていうのは懐疑的に見ざるを得ないなって思うんですね。


―you said that the image of the old type demo is not good, what do you mean by the old type demo? Is the old type demo the one at the kanteimae?

Kato: well yes I guess. I was always wondering how could demo can affect the society, I have been always suspicious about it. If you look back the history, for example in the 60’s 70’s, there were demos against the US-Japan security treaty, but in the end the demo failed because the treaty was signed. In addition the Okinawa demo, Narita demo and other demos, there has been many demo in contemporary Japan but not many of them succeed. Viewing from the past, I really feel that demo won’t change the situation, I see it very suspicious.