岩本 慎三郎 / Shinzaburo Iwamoto #1

岩本:テントを建てて、すぐ経産省がすっ飛んできて、何やってんですか、早く立ち退いてください、って言って、いやいやいやいやって言って、そこに座り込んじゃったわけ。これは9月11日だからまだあったかい時ですよ。それで、経産省とのやりとりの先頭に立ったのが、正清さんと渕上さんていう、今もう裁判では被告になってるのは、この二人が全部住所も書いて、名前も書いて、そのー文書で正式にここをこれこれの理由で、原発問題をめぐる議論の場として使わせてほしいと。これは、ここは経産省の土地ですからね、公道じゃないから。それを経産省に申し込んで、その時に全て、11月11日までってことでしたっけ、いつまでってことでしたっけ? 11月11日まで。だから、9月11日から11月11日だから2か月ですよ。せめて2か月間ぐらい使わせてもらえないかっていうふうに言ってたの、最初は。あの、テントの側がですよ。でもちろん経産省はだめだって言うんだけど、まあそんなこと言わないで、っていうやりとりがあって。そのうち10月の終わり頃になると福島の女の人たちがここに合流し始めて。それで、建てた人たちも、私は一番最初からはかかわってないんだけど、その正清さんとかなんとかも、2か月じゃやめられなくなっちゃって。(笑) 引くに引けなくなっちゃって。あのーじゃ、福島の人が来るから。で福島の人が来てるっていうことで全国から来るわけ。あのー全国のいろんな、まあ女性が多いけれど、女性だけじゃなくて海外からも来るわけ、取材に。

――福島の方が来られるってことはやっぱりなんか意味があったんですか?

岩本:あのー、10月27日に経産省に対する交渉にやってくるわけ。でこの交渉の動画は今でも検索すれば流れてると思うけど、2011年11月27日に経産省に対する、まあ経産省の若手の役人ですよね、を相手にして、あのーかなりの数、20人ぐらいいたのかな、福島の女の人ばっかりですよ、これがまあ、文字通り泣きの涙で訴えて、ともかく何とかしてくれと。まあいくつか、原発を廃炉にしてくれとかね、…散布をなくしてくれとかね、まあいろいろあるんだけど。そういう交渉をやるっていうことのついでっていうわけじゃないんだけど、その一環として、単にその交渉に参加した人を超えて、100人近くでしたっけね、100人でしたっけ、福島から来たのは、あんとき。…10月の27日から29日までの3日間。で、その交渉に参加した人は一部で、それ以外の人はここで座り込みをやると、いうようなことで、そういう動きがあるんだったら女性用のテントを別個に建てようってことで、手前のテントを建てたわけ。そういうことでテントがもうひとつ建つんだけど。こう三つになっちゃって。それでなんか最初の話はなんか2か月ぐらいは貸してくださいっていうようなことを言ってたんけれども、それじゃあ収まらなくなって。このテントの性格が変わっちゃうわけ。 福島の人たちが、特に女性が合流して、そのための第二テントができて、そのー、まあそんな毎日来るわけじゃないけど、かなり頻繁に通ってきて、当然東京の女性たちも来て、全国からも来て、というつまり一言でいえば世論のバックというか、そういう福島をはじめとする全国的な原発反対の、脱原発のうねりみたいなものがあって、あのー最初は本当にちょっと2か月なんかもつのかななんて言ってたんだけれど、ちょっともう引っ込みがつかなくなっちゃった。へっへっへっへ。


Iwamoto: As soon as we built this tent, the Ministry of Economy, Trade and Industry came here and told us to leave, but we denied, and we occupied here. It was September 11 so still warm. It was Masakiyo and Fuchigami that talked with METI. They are sued, because they gave their address and name when they submitted the permission of using the place. It’s not public road. They asked it to METI. It was supposed to be until November 11, so just two months. We had negotiations with METI, then in October women from Fukushima came here. They couldn’t quite in two months(laugh). Because Fukushima people came, people from all over Japan came. Foreign media too.

―Did the Visitation of Fukushima people have any special meaning?

Iwamoto: Well, the first came to the negotiation with METI on October 27. The video is still on the Internet. On November 27, 2011, about 20 women from Fukushima came to Tokyo to protest against lower officials of the Ministry of Economy, Trade and Industry. Literaly they cried to change the situation. It was about stop the nuclear power plants and ***, but as they came near here, they just dropped by. Over 100 people from Fukushima visited here. For 3 days from the 27th to the 29th of October, part of those women participated in the protest and other were doing occupy, and we thought they need a place to stay, so we built another tent for women. That’s why tents are now three in total. At first we were thinking of occupying here (borrowing the space) for 2 months, but the tent’s role/ character had changed. Fukushima people came, then Fukushima women came, and then the second tent was bulit, and people started to visit here almost everyday, of course women in Tokyo did too, and from all over Japan. So, in sum, it was the backup support by public opinion that kept the tent. Started from Fukushima, there was a nationwide anti-nuclear movement. At first we were worried about whether the tent will last for 2 months, but then we just lost when to stop. hahahahaha.